舞扇・ちりめん・京の花街

体験談

江戸時代中期、芸子と呼ばれる職業があった。

芸子は歌や踊りで酒の宴席をもてなす芸者のことで、昔は男性の生業であったが、この頃にはもうほとんどが華やかな女性にとって代わられていた。当時、芸子は遊郭で遊女が来るまでのつなぎとして呼ばれることが多く、揚屋(あげや、店のこと)で指名されることもあった。

私は、歌と踊りが好きで、父の営む地味な綿工場を継がず、16で家を出、華やかな世界に単身で飛び込んだ。

きれいな着物を着て、たおやかに手指をしならせる。

顔はおしろい、唇には紅をさし、少し垂らした横の髪がいっそう色気を醸し出し、私は体の全てを使って宴の席に華を添えた。

歌も芸も、誰よりも稽古した。身体上の不利を、鍛錬した技で埋めるために。加えて、持って生まれた歌の才能も有り、すぐに見世だしとなった。

私は誰にも興味がなかった。

客も旦那も、町の医者もお侍さんも。みんな私を奇異な目で見てくるので、そのうち、見られることに妙な感情がわいてくるようになった。客はよそよそしく、他の女の芸子に掛けるような愛想良い言葉などない。私がこんなにも酒の席を彩ろうとしているのにだ。

客は、ただ、私の舞い踊る着物の隙間から少し出た足や、長く存在感のある腕の先の半円を描く爪先、傾けた顔と、その中央にある切れ長の目を、無言で横目で見やるだけ。たまに、真正面から真剣な目でじっと見入るものもいた。

その時の私は不快だったのだ。

そんな私の、見られることへの不快感は、ある人との出会いで違うものに変わった。

その方は、どんな者にも等しく同じように話しかけてくださり、礼儀を重んじて丁寧な言葉を使って褒めてくださり、私はとても嬉しかった。出どころもはっきりしていて、理想的な男だった。

その時、不快、から恥ずかしさに変わってしまったのは言うまでもない。

ある日、大間に大勢客がいた時だった。

その宴会で、二人の男が酒が始まったそばから言い合いが止まらなかった。

周りの仲間も、いい加減にやめとけよと、声をかけるが静まらなく、私もちょうど踊りが一周した所なので、どうしました?と二人の中に入っていった。以前からタチの悪い客だった。

興奮し立ち上がる二人。

他の芸子が短い悲鳴を上げた。

二人が揉み合っていたかと思ったら、一人が小刀を出し突き刺したのだ、私の腹を間違えて。

それからは私は真っ暗な海に投げ出されたように、意識が遠のいていった。

誰かが私の肩を揺さぶるが、何も聞こえず何も感じない。

私の人生はどんなものだったのか…ただ、今ここで終わるのだということだけが理解できた。

父は、家を出て行った私を恨んでいるのだろうか…

母は寂しがってないか…

…天からお迎えが来て私は雲の端に来た。

父が、そこで待っていてくれた。

父の顔を見るや、私は、こんな不甲斐ない子で申し訳ない気持ちでいっぱいで、泣いて泣いて謝った。父に会えた気持ちも、申し訳ない気持ちも、やり残した自分の人生も、本当に泣くしかなく、やりきれなかった。

だが、父はこう言った。

お前がお前の好きな道を選んで、恨むなんて決してない。よく頑張ったな。踊りかい?見たかったな。と笑った。

私の目からは、心が生まれ変わるように涙が溢れ出て止まらなった。

父は私を恨んでなどいなかった。それどころか、恥ずかしがらなくていい、やれるじゃないか、と励ましてくれていたのです。父に恨まれているのではないかと思っていたのも、客に見られて不快だったのも、自分が思い込んでいただけ、そう決めつけていたのは、ただ、自分一人だけだった…誰も私を否定してくる者はいなかったのだと、その時気づいた。

客は、私に見とれていたのだ。少なくとも、正面から真剣に見てくる者は。横目で見る者にしても、私の踊りのうまさに酒を飲む手を止めていたにすぎなかったのだ。歌も、一曲終われば必ず喝采を浴びせられた。私が恥じらっていただけなのだ。

父は、私の出世を心から喜んでくれていた。踊りを見せられなかったことは、来世で、私が違う形で花咲いたときに見せることができるだろう、きっと。

来世のまた来世でも。

…天の声が聞こえ、女の人のお腹に入る感覚がした。

体験談
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ナチュラルF+ ヒプノセラピー心理療法所

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