EXPERIENCE体験談

     

言の刃(ことのは)

前世療法

2023.07.01

私の悩みは、他人と一緒に暮らすことができないことです。一緒に暮らしたことはないのですが、そう確信しています。無理なんです。だって、友人の家に泊まった時でさえ、気を使いすぎて熱が出るくらいですから。

彼と結婚して家族になって一緒に暮らすなんて…とてもできそうもありません。

私が自分の欲求や感情を出せないようになったのは、郷里以外の人と会話するようになってからだと思います。私の故郷は関西の、なまりがきつい地方で、同郷と話す分には自分をすべて出せるのですが、昔よくあったチャットやなんかで違う方面の方と文字だけで会話すると、ケンカ腰ととられ、相手を不快にさせてしまいます。その一つの失敗で自分も深く傷ついたことがありました。その時から、自分から何かやりたいことや言いたいことを相手に伝えるという行為を、コミュニケーションの選択肢から外して生きてきました。ただ、今の彼には、多少、自分一人でやることについては宣言できるようになってきたのは、少しの進歩です。

前世療法で見たのは、1730年、プラハ…またはプラトー、という地名の一人の女性の物語でした。

湖のほとりの、小さなログハウスのテラスで私はくつろいでいます。ログハウスは一階建てで、赤い煙突が屋根から突き出しています。ドアまでのアプローチは5段の木の階段。上部が丸いかわいらしいフォルムのドアを開けて中に入ると、私は真っ先に靴を脱いで、フカフカのじゅうたんの海に身を投げて思いっきり深呼吸をします。ここが、私が一番リラックスできる、私だけの空間、ここだけが私の休息の場所なのです。ですが、ここでは暮らせない…夜には本当の自宅に帰らなければいけません。

ベージュ色のレンガ造りの2階建ての建物が、私の自宅です。自宅の周りは同じベージュのレンガの上に、黒い鉄柵がぐるりと囲んで、まるでこの家に帰る私を外に逃がさないような重苦しい気持ちにさせます。

夕食前の自宅に入ると、リビングには幼い弟、キッチンには無言の母がいます。時が進むと、夕げが始まります。その空気は重苦しく、早く食べ終えて自分の部屋にこもりたい焦燥感が迫ってきます。父が帰ると、またケンカが始まるから…。恐怖感もあり、食事の味は思い出せません。

私は父に言われるまま歴史ある大学にいったり、不機嫌な父の言いなりにならざるを得なく、反抗したことなんて一度もありません。怒られるのはいつも母と私です。弟は幼すぎるから大目に見てもらえたのでした。

ある日の夕食のこと。父がテーブルをこぶしで叩きつけました。料理がまずい、自分はイモが嫌いなのを知っているのになぜ料理に出すのか、と騒ぎ始めました。私だって肉が食べたいとは思うものの、この地域の食糧事情は決して豊富ではありません。それに母の作る料理はおいしいです。

父は大きな子供のように怒鳴り声をあげ、母も負けじと言い返します。またこれが始まった。

父も母も目いっぱいに声を出しあってお互いをののしるシーンを、もう何度も見てきて私はうんざりだったのです。父の気持ちも、母の気持ちも、理解したいとはまったく思いませんでした。

しばらく時が経った頃、母は家を出た後戻りませんでした。永遠にです。

私は、母がこんな家庭はうんざりだとすべて捨てて遠い地に逃げたのだと、悟りました。ですが、悲しい気持ちにはなれません。母が、私たち姉弟を置いていったことよりも、もっと強い心の痛みがあるのです。

人と1対1で接するのが怖いこと。それが父だけではなく、相手が女性でも、友達でも。

いつのまにか、1対1での会話は私にはできないのだと、母のように自分の気持ちを言い返すと、不幸なことにしかならない、と学んでしまったのでした。それから私は、母の代わりに弟が15になるまで家に残り、時が来てから出ていきました。

今、私はアパートで独り暮らしをしています。幸い、学者としての職があったので自活はできました。

自宅のソファで呆けていると、白昼夢のようなものが見えてきました。

私の体と意識は、幼い女の子になっています。歳は、6歳。すぐ隣には、幼い弟。面影が、自分の弟と重なりますが、違う顔をしています。黒髪の日本の子…自分もそうでした。

部屋の奥のキッチンには、中年の女性がこちらを向いて立っています。そして同じく中年の男性が近いところに座っています。

2人は、なにやら言い争いをしているようです…

言葉が、田舎だから汚い…

汚いというか、ののしりあっている…

女性の手には包丁…

田舎の言葉は本当に汚いのです、「死んじまえ!」と平気で言うから…

男性が立ち上がり大声を出します…

私は心の中で叫びました!おじいちゃんが殺される!私は胸が張り裂けそうです。私の心臓は変に脈打ってどうしようもない焦燥感に襲われます。

…次の瞬間、アパートの一室のソファにいる私に意識が戻りました。

これは、私の来世の記憶、

来世では、父母が共働きだったので姉弟二人とも祖父祖母の家ですごしていました。祖父と祖母はこの人生の父と母です。二人は普段から言い争いが絶えなく、いつもケンカばかりしていましたが、6歳の時の、たまたま手に包丁を持っていた祖母を見て、祖父がその「言葉」の通り、殺されると本気で思ってしまっていたのです。

1対1で、大声で怒鳴りあう、1対1では、どちらかが死ぬ。

汚い田舎の言葉は、来世の私に強烈な心の傷を作り上げました。この子(自分)は前世である私の、ケンカの先の寂しい結末よりも、もっと強いインパクトを引き出されてしまい、その後の人とのコミュニケーションに障害が出てしまうのです。

自分の口から出る言葉は、田舎の、汚い衝撃的な言葉。それは、その時感じたように、自分の「言葉」が相手を死なせてしまうかもしれないという恐怖感を持つため、来世のこの子は郷里以外の人とまともにしゃべられなくなってしまうようです。

わたしは、反省しました。このままでは来世のこの子がかわいそう…それはすなわち未来の自分自身でもあるため、今の私が乗り越えなくては、と感じました。

時が進むと、私は30代になっていました。今までのアパートとは違う家にいます。目の前には物腰のやわらかい男性…私のパートナーがいて、二人で楽しく食事をしています。私は、1対1で話す恐怖心というものを克服して、この人と生きる道を選べました。相手が、父のように威圧的かどうかなんて、話してみないとわからないと思い、時間をかけて対話するようにしたのです。それさえできるようになれば、私の心は昔よりずっと軽くなり、人生が楽しいものになりました。

時間が進み、病気で亡くなりますが、傍らのパートナーは、老いた私の手をずっと握ってくれていました。

とても幸せです。

この幸せを、来世のあの子にも感じさせてあげたい。

あなたの言葉は、誰も傷つけない、あなたの美しい心さえあれば、言葉なんてツールに過ぎないのだから、落ち着いて行こう、と伝えたい。