EXPERIENCE体験談

     

爆発した建物・人

前世療法

2024.06.23

その方の不安感は、幼いころの記憶がないことと、今、家族に対して疎む感情があることから、何もかもが嫌になってしまったことから始まったそうです。

家族は、自分と心のつながりがなく、自分をいいようにコントロールしようとしているんじゃないか、と不信感しかなかったと言います。

自分勝手に自分の都合で呼びつけて、私のことなんて何も考えていない、いい加減うんざりしてきたと。

それに、幼いころの記憶がないことから、この一家は魂的・気持ち的にバラバラで絆なんてものがないんじゃないかと思ってしまったようでした。一方で、現代で心のつながりがなくても、前世で何かしらつながりがあるなのら、少し許せる気持ちにもなれそうな気がするとも言っておられました。

この方の切羽詰まった焦燥感と、奥にある家族を思うやさしさやつながりのような感情、どちらも感じられるので、絆を取り戻すべく一縷の望みをかけてセラピーで前世療法がおこなわれました。

セラピーではすぐに深い瞑想に入り、白い空間にフワフワ漂う自分を感じていたと言います。やがて白い空間の出口が見え、意識がそこから抜け出すと、目の前にはきれいでどこか懐かしい浜辺。そして夕日が沈もうとしていたシーンにたどり着いたのでした。

季節は初夏。磯の香りと共に、5月か6月の、これから暑い大気が押し寄せてくる前触れの、南の風のにおいがしていました。

自分の足元を見ると子供の体つきをしているのがわかります。感覚で小学校3年生くらいだとわかりました。

すぐそばにはもっと小さい子たちがいて、これは自分の妹と弟ふたりのようです。

3人とも海で遊ぶのが大好きで、毎日のように兄弟で遊んで暮らしていました。

もちろん、家のお手伝いはちゃんとします。昔の日本だし、戦時中なので、米の代わりのイモは私が掘ってくる役割ですし、近所のもっと小さい子たちのお世話をしてあげるのも自分の役割です。

隣の奥さんの赤ちゃんをおんぶしながら、家の前の道を行った先にある海まではすぐなので、兄弟と遊びながら楽しく過ごしていました。赤ちゃんは妹とはおままごとです。

だけど、防空壕に入らないといけないときは恐怖と息苦しさで、胸が押しつぶされそうになります。

頭の真上を飛んでいく戦闘機。

ゴーっという爆音がするたびに、防空壕の入口が少し崩れて更に不安をあおった。お母さんも一緒にいるけど怖くて仕方がない。

私がお母さんにしがみつくと、辛抱だよ、と力強く励ましてくれます。私の肩をギュッとにぎってくれた母の顔は、現代のお母さんと同じ顔・同じ雰囲気です。そう、現代のお母さんはこの時代でもお母さんをしてくれていたのです。

私はそれだけで涙がとめどなく流れ、今までのうっとうしい気持ちが噓のようになくなりました。だってお母さんは、この時代で成し遂げられなかったことを現代で成し遂げようとしているだけだと気づいたからです。お母さんの優しい気持ちが一瞬で伝わりました。

一方のお父さんは物腰が優しい人ですが怒った時は怖い、メガネをかけた人です。いつも丸いちゃぶ台について新聞を読んでいる人でした。最後の最後まで家にいてくれてうちは割と長く一家一緒にいることができたので、あまり寂しくはありませんでした。

お父さんの顔は初めて見る顔で、現代にはいないようでした。でも、これまで一緒に暮らしてきた絆やこのお父さんの懐かしい雰囲気や、心が温かくなるような気持ちは幻なんかではありません。この時代に一緒に生きた、私の大切なかけがえのないたった一人の父親です。

弟たちと妹もそうです。弟たちは特に、2人いる方の下の子、この子は現代で私の母が産んであげられなかった特別な子だと、雰囲気で分かりました。

この時代では少なくともこの歳まではいっしょに遊んであげられてよかったと思う…現代では会えなかったから、もう少し、この子のぬくもりを感じたいと思った。

みんなみんな大好き、大切で唯一無二の私の家族。

でもある日、防空壕から出た時に、みんな油断してしまっていた。2時間半も待っていれば今日はもうないだろうと出てしまったから、空から降ってきた恐ろしい爆弾に建物が破壊され、人々は建物ごとなぎ倒され、逃げ狂う人々は水を求めて川や海に飛び込んだ。

みんな散り散りに逃げてしまったが、爆風は続く。

地獄の炎に熱せられた何かが急に一斉に飛ばされてきた。お母さんは私に覆いかぶさるようにかばった。

だから、現代のお母さんの背中、そして私のお腹には同じ色のあざがある。

この傷が致命傷で、私も、数日で命を落とすことになった。

数日間、一人生きていた…熱が爆風となってゆらゆらと燃え続けたのち、そこら中焼け野原に変わっていたのを見た。

数人の残された大人たちが、倒木をどかしたり少し動いていたが、誰も声をあげていない。

あとから悲しさがこみあげてきたが、それは雲の上でみんなからやさしく迎えられて落ち着くことができた。

みんないる。雲の上で、笑顔で迎えてくれている。二人の弟、幼い妹、私をかばったお母さん、おじいちゃんおばあちゃん。悲しさから嬉しさに変わって、また泣きました。

お母さんは、戦争のせいで子供たちを最後まで育てられなかったことから、今世ではいっぱい子供たちとかかわろうとしてくれた。兄弟たちは、今度は自分がお兄ちゃんになるとかお姉ちゃんになるとか、勝手に盛り上がっている。できるかな?と私は笑った。

おじいちゃんもおばあちゃんもいる…そういえばメガネの父がいません。

おじいちゃんが今世でのお父さんだとわかりましたが、戦時中でのお父さんの姿が見当たりません。

どうしたもんかと思っていたら、突然、長崎で船を見つめる一人の男性の姿が雲の端から見えました。

外界に映る男性は、しっとりと船に視線を注ぎ、腰に手を当てて動かない。

これ、お父さんだよね?とみんなで顔を見合わせます。

そう、お父さんの下の名前が、”あきお”さんで、今でもまだ長崎で生きているらしいことが見えたのです。びっくりしましたが、そういうこともあるんだなって、思いました。

あきお父さんは、軍艦に関わっていた人なのかもしれません。

昔の遠い記憶のことを今でも思い出しているのかもしれません。

先に旅立った私たちは、北海道の苫小牧市という場所でみんな一斉に生まれ変わって家族をやり直しています。この家族たちはこうしてここに生まれましたが、あきお父さんも、いずれ会える時が来るのでしょうね。

その時、あきお父さんも含めてもう一度家族をやりましょう。楽しかったあの日を、戦争がくることがない平和な世界でその続きを。

                   
                   
                   
                   
                   

セラピーを終えられると、その方は一つ思い出したことがあると言いました。

幼いころの記憶がないから、私は家族との縁が薄いのだと最初に話していましたが、ついに思い出したのです。5歳より少し前、お兄ちゃんと家の前で乗り物のおもちゃに乗って二人で楽しく遊んでいるシーンを。今世でもちゃんと楽しく暮らせていたということを思い出せて、家族に対する気持ちが前向きに感じられることができた、と晴れやかな表情でその方は話してくれました。