EXPERIENCE体験談
離人症
2024.09.27
離人感・現実感消失症は、自身の身体または精神プロセスから遊離(解離)しているという、持続的または反復的な感覚から成る解離症の一種であり、通常は自身の生活を外部から眺める傍観者であるような感覚(離人感)、あるいは自分の周囲から遊離しているような感覚(現実感消失)を伴う。本疾患はしばしば重度のストレスにより引き起こされる。診断は同様の症状を引き起こしうる他の原因を除外した後、症状に基づいて行う。治療としては、精神療法と合併した抑うつおよび/または不安に対する薬物療法を併用する。
ーとあります。
ある10代の若者がこの症状で来られました。
お話では、小学校4年生の時にオンラインゲームで見知らぬ相手に大敗させられた瞬間、自分の意識が自分の頭上に上がり、以後、真後ろ少し上から自分を眺めている感覚のまま生活することになったと言います。
カウンセリングでは、その他に、習っていた拳法で、熱心に練習に打ち込んだのに翌日の本番で負けてしまったこと、一時間も組手の練習をした”すもう”も一回で負けてしまったことから、”努力が水の泡になる”、ことに大きな意味があることがわかりました。彼も、なぜこうなったのかということは、負けた自分を認めたくないからだとはっきり言われました。
負けた自分を認められない何かがあるのかもと、その原因を探るためにセラピーが行われました。ここからはヒプノセラピーです。
彼は今、果物売り場に並んだ新鮮なイチゴを見ているシーンの中にいます。
人の行き交う活気ある気配、みずみずしい赤い色と果物の甘いにおいがする。
その向かい側にあるオシャレな雑貨屋さんが、これから彼女とのデートのことで頭がいっぱいの彼の華やぐ気持ちを表しているようです。
彼は細身の20歳くらいの男性で、半ズボンとTシャツというラフな格好をしています。海のにおいがすることもあって、ここは南の方の暖かい地域ーロサンゼルスビーチだとわかりました。
現れた彼女は、ショートカットの元気な笑顔の人。青い目・高い鼻のこの人がイチゴが好きなんだと直感でわかりました。
彼女はとてもかわいく、チャーミングで、彼を見つめてくるまなざしはいつもいい笑顔。美人な彼女とイケメンのカップルは、街では目立った。二人とも長身だしスタイルもいいし。二人は手をつなぎ、他愛もない話をしながら市街をぶらぶらと歩きます。
やがて海までやってきました。海水浴をするような時間ではないけれど、他にも人がいて、上半身の服を脱いだ若者たちが、3人ほどすぐ前をたむろしています。彼は、自分の細い体と比べてしまいますが、一方の彼女はそんな他人に目を止めたりはしません。好きなのは彼だからです。そして、彼もまた、彼女の無邪気さや爛漫な笑顔が大好きでした。
そんなかんじで、二人はお互いの気持ちをより深く感じることができる、いい関係でいました。
時間が流れて、彼は30歳になっていました。
体はむきむきの筋肉、色黒に焼けていて、サングラスと上半身裸がよく似合う男になっています。そして大好きなあの彼女とは結婚もしていました。
だけど流れている空気は重いもの…
自宅の一室で、深刻そうな表情の彼女と二人きりです。
二人は喧嘩をしていました。彼女はベッドの上から物を投げつけ泣きじゃくります。一方の彼は頑固にこう言っています。
「自分は子供は欲しくない、今の仕事で好きな服を買っておいしいものを食べて二人でずっと暮らしたい。仕事だって重いものを運ぶ仕事で体力的にきつい…子供の面倒なんて見られないよ」
「私はあなたがいいの、あなた以外考えられないのだけど、そのあなたが私との子供が欲しくなければ、私は子供の方を選ぶ気持ちがある」
ベビーシッターの仕事をする彼女が子供好きなのは知っていた。ベッドの上で泣く彼女を見て、決断しなければいけないところまで差し迫っていることが理解できたようです。
そして、悩む時間は必要なかった。
時が流れると、小さな命と母になったやさしい笑顔の妻が目の前にいました。
愛しい命はこんなにも小さくて、全てを守ってあげたくなる気持ちがするもんなんだと、感じられたと彼は言いました。
彼は、自分の望みより、妻の願いを受け入れたのでした。それは複雑ではありますが、妻を失いたくない気持ちと、妻のことを考えると決断をしてあげられてよかったという気持ち、そして何より、新しい家族が増えたことで今まで味わったことのない喜びを得たこと、すなわち未知だった感情を体験することができたことの楽しさの方が大きかったと言います。
時は穏やかに流れ、彼の子供はそろそろ仕事をする歳に達しました。
——この子は、家のどこでも、何もないところでつまずいたり、自分のやりたい仕事なんてものもなく、自分の息子でありながらこうも心配させる子だとは思いもよらなかった…食も細いし。私の若いころは、細くても筋肉を鍛えていたし、サングラスの似合うとても完璧に仕上がった男だったのに、と言います。
ただ、この息子さんを自分とは一線を画して感じることはできない、身近な存在に感じる、とも言います。まるで”自分自身”のようだと。
仕事がうまくいかなくてなぜかズタボロの服で帰ってくるところ、(仕事がクビになった上に何か沼的なものにハマったらしい)、おじいちゃんが野球が好きで熱狂してても何にも興味を示さずお酒も弱いので晩酌さえも付き合わないところ、食が細く筋肉がつかないことろ。
父である私のことを、父さんはかっこよくていいね、と言ってくれるが、自分はそんな息子を否定したいわけでも他人と比べたりしたいわけでもない。なぜなら、こんなに”完璧でカッコよい男”であるお前の父も、かつて、母さんを泣かしたことがあるんだぜ?それって男として、本当にかっこいいと思うかい?完璧に見える者でも、実は完璧な人間なんていないんだ。
全部お前の思い込みなんだよ。
それと、お前が誰に何を言われようが、お前にはお前の良さがある。
お前は、他人をダメだと否定したりしない。これは立派なことだ。
それに、お前は外国のオリエンタルな雰囲気が好きだろう?何か集めている…え~と、トルティーヤキャッチャー?。
「ドリームキャッチャーだよ。トルティーヤつかまえてどうすんだよ」
そう、それ。それってお前だけのセンスで、そのセンスで誰かの心を動かすことができるかもしれない。将来自分のお店を持ったりなんかするかもしれないな。
「大げさだな…」
と、父と息子の穏やかで慈愛にあふれた会話が流れていきました。
いつしか”彼”の意識は、彼の息子の中に安定して根付きました。自分でいていいんだと気づいたからです。
セラピー中に最初に見た意識は自分ではなく自分が完璧にかっこいい、と思える人物——完璧な男に入っていたのです。
美しい女性に愛され、海で見た若者に負けないと体を鍛え、きつい肉体労働でも根をあげずに家族を養う、外見も中身も完ぺきな男。一方で、そんな男でも大切な人を傷つけたかっこ悪い過去があったり、他にもよく考えると得手不得手があったりする。
自分がめざした完璧には完璧なんてないのだと、身を持って体験することになったのでした。
今、尊敬する父は自分の自分らしいことを認めてくれている。
そして笑顔で明るい母も、自分を応援してくれている、と感じていると言いました。
世界は、思ったより羽のように軽やかなもののように感じられたようでした。
「今度はお前の番だよ」
最後に、この人生を振り返った時、この前世の自分が彼に言ってきました。そして彼は「いつかね」と返し、二人は握手をして別れました。
次はその言葉が現実で真実に、たぶんおそらく近いうち、彼は自分を取り戻すことになるでしょう。